どうも、うきっコです!
ゲームを嫌いになる決心をつけるため、「ダークソウル」というソフトを手にした僕でしたが、結果は全く違ったものとなります。
人生観やゲームとの向き合い方、ダークソウルから学んだ事は数え切れません。
今この時、「人生が辛い」と思っている人がいて、僕に何か解決方法を訊ねてきたとしたら、まず「ダークソウルをプレイしてみたらどうですか?」とオススメします(笑)。
プレイした人なら「そんな優しいゲームではないだろ、嘘をつくな」という人もいるかもしれません。そうです。弱っている状態でダークソウルをするのは、かなりの勇気を必要とします。
それでも薦めます。
たくさん敗北してほしいし、たくさん絶望してほしいです。
これからの長い人生の中で、辛い未来は必ずやって来るでしょう。そんな時、心の何処かに自分だけの篝火があれば、何があっても対処出来るはずです。
それをこの記事で、僕は伝えていきたいのです。
※ここで書く「ダークソウル」とは、PS3ソフト「DARK SOULS with ARTOLIAS OF THE ABYSS EDITION」についてとなります。また、やりこんでいるわけではないのでマニアックなネタ等は一切出てきません。過度な期待は禁物です。
DARK SOULS とは
「ダークソウル」――通称「ダクソ」とは、
フロムソフトウェアが2011年に発売したアクションRPGであり、後に発売される国内外のゲーム作品に多大な影響を与えました。その人気からシリーズ化され、「Ⅲ」まで制作されています。
ダークファンタジーの世界観、(当時の日本のゲームらしくない)硬派なゲーム性、そして容赦なくプレイヤーを殺しに来る敵や罠。いわゆる「死にゲー」の代名詞ともなれる程難易度が高く、多くのゲーマーを沈めた事でその界隈で有名になりました。
僕自身がこのゲームを始めようと思ったキッカケもここにあります。
死にまくって、負けまくって、「もういいや」と思えるくらいに叩きのめされて、結果ゲームを嫌いになる。それが当初の計画だったのです。
ゲームとして
これだけではどんなゲームか想像しにくいので、少しだけ説明しますね。
簡単に言うと、「アクションRPG」というジャンルの作品は「キャラクターを自分で動かす」ゲームとなります。例えば「RPG」だけだと、有名な「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」という作品がそうです。これらは移動等は自分で操作しますが、戦闘等の場面ではコマンドを選択し、自分が攻撃→次は敵の攻撃、という具合で進む「ターン制」です。※ポケモン等もこれに当てはまりますね。
ダークソウルは全て自分で操作します。移動も戦闘も敵の攻撃を回避するのも全てが繋がっています。つまり、普通のRPGと違って「レベルが高い=楽に進められる」とは限らないのです。
極端な例だと、ダークソウルをやりこんだ人は、レベルも装備も最弱の状態でゲームクリア出来たりします。
逆の例だと、レベルを最大にして、装備も最高の物を揃えても、苦手な人は全くクリア出来ない可能性があります。
とても自由度の高いゲームである反面、プレイヤーへ何か指示する訳でもないので、最初は戸惑いました(笑)。
一応チュートリアル(の様なもの)はあるのですが、「〇ボタンを押せば~が出来るよ!」といった親切なものではありません。
「R1 攻撃」「× ローリング」
といった感じの無味無臭の説明が画面に出てくるだけです。これでチュートリアルは終わりです。
ダメな人は本当にここで止めると思います(笑)。
この「媚びる事のない硬派なゲーム性」が、多くのプレイヤーに受け入れられたのではないでしょうか。記憶としてはこの頃のゲーム……特に日本のゲームは、非常にプレイヤーに親切な作品が多かった気がします。
「〇〇の次は○○をしよう!」とか、可愛いキャラクターが楽しそうに説明してくれたり、(今のスマホゲームにも言えますが)たくさんの人がゲームを楽しめるようになったものの、その弊害として万人にウケないゲームは埋もれてしまうような現実もあったと思います。
Amazon等のレビューで「難しい!チュートリアルさえクリア出来ない!☆一つです!」なんて書かれれば、一瞬にしてクソゲー(プレイする価値のないゲーム、クソのようにつまらないゲームといった意味)呼ばわりされる時代です。その中で、ダークソウルのこのスタンスは新鮮でした。
元々フロムソフトウェアという会社の特徴としては、この「媚びなさ」はずっとあったのですが、これほどたくさんの人に受け入れられたのは珍しいのではないでしょうか。
もちろん、それは僕にも言える事でした。これまで長い間ぬるま湯に浸かったような、そんな甘ったれた態度でゲームをしてきた僕にとって、ダークソウルの衝撃はとてつもなく大きかったのです。
世界観
ダークソウルはその世界観も大きな魅力です。しかし、これもまた(難易度以外で)ダークソウルを途中で止めてしまう原因の一つとも考えています。
つまり、話がよく分からないんです(笑)。
ダークファンタジーの要素をふんだんに盛り込み、そのクオリティは日本製のゲームとは思えない程高いです。故に、ストーリーが掴みにくいんですね(感情移入し難い)。
それもそのはずです。本編内では必要最低限のストーリーを断片的に見せるだけで、詳しい内容は自分から進んで得ようと思わないとなかなか理解出来ません。
雰囲気は凄く良いのに、主人公は何を目指しているのか。
どうしてそんな事をしなくてはならないのか。
そういった、RPGの面白さの根幹部分がとてもモヤっとしているんです。そうなると途端につまらなく感じてしまいますよね。
ストーリー(超意訳)
- どういった物語なのか
かつて、ダークソウルの世界は「古竜」が支配していました(竜の時代)。この時代に、「火」が生まれます。これが最初の火です。この「火」というのはダークソウルではとても重要で、様々な要素をこの世界へと流し込みます。そしてこの最初の火から「王のソウル」を見出した者たちが現れます。
それが、「最初の死者ニト」「イザリスの魔女と混沌の娘達」「太陽の王グウィンとその騎士達」「誰も知らぬ小人」と呼ばれる存在です。
彼らは共闘して古竜に戦いを挑みます。王の力によって戦況を優勢に進めていき、「白竜シース」の裏切りによって、遂に古竜は敗れました。竜の時代は終わり、ここから火の時代が始まるのです。
ダークソウル冒頭でも語られるプロローグですが、僕らの世界の「神話」の様なものと思えば問題ありません。
……ここから時が流れてダークソウル本編へと繋がります。この頃、人々の間では「ダークリング」と呼ばれるものが現れ始めていました。
プレイヤーもこのダークリングが浮かび上がった人間の一人なのですが、開幕早々、牢屋に入れられています。
これにも理由があり、ダークリングが浮かび上がった人は「不死人」と呼ばれ、死ななくなります。ただし、死にすぎると、肉体より先に精神がおかしくなっちゃって「亡者」と呼ばれる存在へ変貌してしまいます(ゾンビみたいなものです)。
こういう理由から、主人公は(隔離施設にあたる建物の)牢屋に入れられているのですね。
ですが、主人公はとある騎士に助けられます。
「不死の証(ダークリング)は試練の証」
騎士は主人公にそう言います。これこそがダークソウルでの目的です。
- 火継ぎの試練
——で、その試練とは?そもそもどうしてそんな事しなきゃならないの?
かつて世界に「最初の火」が生じ、現在は火の時代だというのはここまででも話しましたね。
しかし、それも遠い遠い過去の話です。現在、その火が消えかかっているのです。
それが原因で、世界には異変が起きていました。火が消えた場所は夜となり、霧が現れ、そこから「デーモン」が出現し始めていました。
試練とは火を絶やさぬ事、すなわち「火継ぎの試練」なのです。
言い方を変え要約するならば、ダークソウルの物語とは
「世界を救う」事だったのです!
……と、まあ、格好つけて書きましたが、ダークソウルのストーリーはもっと複雑ですし、王道 RPGの様なものでは決してありません。もっと細かく知りたい人は実際にプレイしてみてほしいです!
特徴的なゲームシステム
ダークソウルでの冒険は孤独です。他のRPGの様に、道中仲間が加わりパーティーを組んだりしません。
基本的に全て独りで攻略し、試練に挑まなければなりません。優しい言葉をかけてくれるキャラクターはほぼいません。貴方を騙し、利用し、殺しにくる……そんな奴らがたくさんいます。実際、死にます。殺されます。それでも、誰も貴方を心配しません労わりません。
全ての人が安堵し、帰る場所:「篝火」
そんな残酷で厳しい世界にも、安心出来る場所があります。それが篝火です。
他のゲームで例えると、「宿屋」「セーブポイント」みたいな場所です。ここで休んでいる間は敵に襲われる心配はありませんし、エスト瓶(回復薬の役割を果たすアイテムです)も補給されます。武器の手入れやアイテムの入れ替え、レベルアップなんかも行えます。
僕も強敵に何度も敗北しどうしようもなくなった時、何も無くとも篝火を眺めて、心を落ち着かせていました。
ただしこの篝火にも注意が必要で、ここで休むとこれまで倒した雑魚敵は全員復活し、再配置されます。戻らなければそれほど問題は無いのですが、ダークソウルは雑魚敵も一切油断出来ないので、思わぬ所で足をすくわれる危険があります。
休むか、休まずそのまま突っ走るか。これもダークソウルの面白さの一つでした。
篝火が消える時:侵入
このように、全てのプレイヤーにとって篝火は唯一心休まる場所と言っても過言ではありません。また、篝火はその後も消える事は無く、何度も使用出来ます。
ですが、その篝火が消える時があります。それは、他の世界のプレイヤーが自分の世界に侵入して来た時です。
ダークソウルは特徴的で面白いオンラインシステムがいくつか用意されています。侵入もその一つでした。
注意:「侵入によって篝火が消える」のは、あくまで僕がプレイしていた時期のダークソウルの仕様であって、調整やアップデートによって無くなっている可能性があります。
「侵入」とは、現在オンラインで遊んでいる自分以外の他のプレイヤーが、自分の世界に移動して来る事です。別の言い方をするなら「プレイヤーキル」と呼ばれるもので、プレイヤーがプレイヤーを殺しに来ます。
しかも、自分が死ぬか、侵入してきたプレイヤーを殺すか、そのエリアのボスがいる場所にまで到達しなければずっと侵入状態は続きます。
さらには篝火も使用出来なくなります。雑魚敵を倒していなければ、そいつらも一緒になってプレイヤーを殺しに来ます。
何回も「殺す」という強いワードを使ってしまっていますが、それ程この侵入は僕にとって恐怖でした。何故なら、侵入してくるプレイヤーは自分の腕に自信がある強い人がほとんどだからです。
「篝火が使えない」「自分を殺しに来たという明確な意思を持った本当の人間がこのゲーム世界のどこかにいる」そう考えただけで緊張感が凄かったです(笑)。
僕は弱かったので、「擬態」という魔法を使い(これを使用すると、その場に適したアイテム等へと見た目を変えられます)、じっと動かずやり過ごすような、かくれんぼみたいなプレイをしていました(笑)。これも面白かったですけどね(笑)。
※これはオンラインのゲームシステムなので「対人戦になんて興味ない!ダークソウルのストーリーだけを純粋に楽しみたいのに……」という方は、オフラインにしておけば安心です。ストーリーも変化しません。しかし、オフラインにしておくと後述するようなシステムも使用出来なくなる事を注意しておかなければなりません。
オンラインにおける、一期一会のささやかな絆
ここまでダークソウルの厳しさを多く書いてきましたが、もちろんそれだけがこのゲームの魅力ではありません。というか、厳しさしか無かったら僕はクリア出来ませんでした。
前述したように、オンラインに繋げていると他プレイヤーに侵入される可能性があります。ですが、彼らは心強い味方にさえなってくれるのです。
僕は誰かと協力して共通の敵を倒す、というようなオンラインゲームが苦手です。仲の良い友達と遊ぶのは別ですが、見ず知らずの人とは全力で楽しめないのです。ダークソウルは基本的にソロプレイ(一人で遊ぶ)です。しかし、オンラインだとどうしても他者との関わりが生まれます。ダークソウルは、その関わりが非常に緩かったのです。
その場限りの繋がり、一期一会とも思える関係性。伝え方はキャラクターの仕草だけで表し、直接何かを言われる事もありませんでした。
僕はそれが非常に心地よかった。
これから先、会うことも話すことも喜びを分かち合うことが無くとも、そのささやかな絆さえあれば僕は頑張れました。
メッセージ
オンライン状態でプレイしていると、ステージの各地に「メッセージ」と呼ばれるものが残されている事があります。これは何かというと、プレイヤーが他のプレイヤーに対してアドバイスや警告を、限られた文章を使って残してくれたものです。※制作側の公式メッセージはオフラインでも確認出来ます。
例えば「ここだ!」というメッセージがあるとします。何の変哲もない壁の前にこのメッセージがある場合、その壁を攻撃してみます。すると壁が消え、隠し通路が発見出来る……といった具合に役に立つものが多くあります。
無論、そのメッセージが嘘の可能性もあります(笑)。「飛び降りろ!」と崖の前にメッセージがあって、信じて飛び降りてみたら普通にゲームオーバーになったりとかはよくありました(笑)。
色々なメッセージがありますが、そのどれもに励まされました。この厳しい世界に挑み続けているのは僕だけではないんだ、と心を強く保てました。ボスを倒した後浮かび上がってくるメッセージには「俺はやったぞ!」と書かれてあったり、その達成感を共有出来て嬉しく思いました。
血痕
残されているのはメッセージだけではありません。地面には「血痕」と呼ばれるものも残されています。これは文字通り血の跡です。
血痕は、「そこで他プレイヤーが死んだ」事を意味します。
触れてみると、赤く縁取りされた透明のプレイヤーが出現し、自らの死の直前を再現します。
初見殺し(初めてのプレイでは絶対に分からない死角からの攻撃・罠による死亡)も多いので「こんな所で死ぬか?」と思ったりするものも中にはあります。
ただし、場所によってはおびただしい数の血痕が残されています。これで推察出来るのは、「この先とんでもない強敵が待ち受けている」です。
大量の血痕が見えた時は特に気を引き締めた記憶があります(笑)。
そして自分自身の死も血痕となり、誰かの助けとなるのです。これも僕が好きな要素でした。
幻影
ダークソウルをオンラインでプレイしていると、よく前や後ろから透明のキャラクターとすれ違ったり、追い抜かれたりします。
これは「幻影」といって、今まさに他のプレイヤ—が操作しているキャラクターです。お互い干渉出来ませんが、僕としては、別世界で頑張る仲間が近くにいるようで嬉しかったです。
協力プレイ
敵があまりに強かったり、侵入された際の対抗手段として用意されているのが「白霊召喚」です。地面にメッセージと同じようにサインが浮かんでいるのですが、白霊の召喚サインは白く光っています。
これは他プレイヤー(白霊)を自分の世界へと呼び込み、一緒に戦ってもらうというものです。
条件を揃えなければなりませんが、白霊召喚が出来ると攻略がグッと楽になります。そのエリアのボスを倒すまでの限定的なものですが、心強さは半端ないです(笑)。
召喚されると大抵の白霊は「おじぎ」のジェスチャー等、挨拶をしてくれました。こちらも挨拶して、短い時間行動を共にします。
経験豊富な白霊はどんどん前に出て雑魚敵を倒してくれたり、またはプレイヤーの後ろに付いて一緒に攻略をしてくれたり、人間がそれぞれ個性があるように白霊も十人十色です。
ボス前は白い霧に覆われているのですが、そこに入る前にもう一度おじぎをしてここまでの感謝を示しました。ボスを倒せば白霊は元の世界へと帰っていくのですが、その際も共に勝利を喜びました。
もう出会う事も無い誰かに助けられ、再び孤独な試練へと戻る。優しさのかけらもない世界で、この時だけは、ぬくもりを感じられた気がします。
ゲーム人生史上最難関のボス:王都アノール・ロンドでの戦い!
冒険を進めていくと、プレイヤーは「アノール・ロンド」と呼ばれる場所にたどり着きます。
このアノール・ロンド……僕が遊んできたゲームの中でも一二を争う程美しいステージになっており、しばしば目を奪われてしまいました(笑)。
王都と言われるだけあって、荘厳な城外・城内が舞台となります。ファンタジー感も高まってテンション上がるのですが、多くのプレイヤーを沈めたダークソウル内でも屈指の難所でもあります。
いやらしい罠や仕掛けは無いのですが、単純に道中の敵が強いんですよね(笑)。
ダークソウルの敵はどんな雑魚でも油断できません。その中でアノール・ロンドの敵は普通に強い。
そりゃそうですよね。王都なんて言われているんですから、警備は厳重でしょう。個人的には弓を射って来る銀騎士が厄介でした。
強敵を相手にし、篝火で休み、たまに景色を見たり……そうやってアノール・ロンドを進んで行くのですが……。
「竜狩り」オーンスタインと「処刑者」スモウ
アノール・ロンド最後の試練にして、今作中最高難度のボスキャラ。それが「竜狩り」オーンスタインと「処刑者」スモウです。
あくまで僕の感想ですが、ダークソウルで一番強かった敵ですし、「本当にクリア出来るのか?」と何度も心が折れそうになりました。数々の苦難を乗り越えてきたプレイヤーでさえ、この二人の前に膝をついたと思われます。
- 「竜狩り」オーンスタイン
獅子をモチーフにした金の鎧兜に身を包み、雷撃と十字槍を武器にプレイヤーの前に立ちはだかります。
グウィン王に仕える「四騎士」の長であり、現在存命する唯一の人物です(要するにめちゃくちゃ強い伝説上の騎士)。見た目や行動からとても好きなキャラクターです(感想)。
- 「処刑者」スモウ
名は体を表すがごとく、巨体とそれに似合う大槌を武器にプレイヤーを粉砕しに来ます。
「四騎士」と同等の力を持つ強者でしたが、処刑に愉悦を見出し、その残酷さから四騎士に取り立てられなかった問題人物です。プレイヤーにとっては「四騎士と同等の実力」だけが重要です。
オーンスタインとスモウ(通称オンスモ)戦、の難しさは二体が同時に襲い掛かって来ること、片方を倒すともう片方が強化され体力も回復する二点に尽きます。
死闘を超えて
そもそも一対一でも強いのに、それを二人同時に相手にするのでテンパってしまい最初は実力を上手く発揮出来ませんでした。
ただ、それでも、実力以上の問題で。
どうやったって勝てませんでした。
これまでにもたくさんの敗北を重ねて来ましたが、オンスモ戦は次元が違いました。
自分が持てるもの全て使い、利用し、そうしてようやくクリア出来る。子どもの頃から色んなゲームをしてきましたが、間違いなく僕のゲーム人生史上最難関のボスと呼べる強敵でした。
今でも辛い時しんどい時、夜寝る前に悶々と考える事があります。そんな時、昔の自分が出てきては「オンスモ戦とどっちが辛い?」って聞いてくるのです。
そうしたら迷わず「オンスモ戦だな……」と即答してぐっすり眠れてしまいます(笑)。
それほどこの戦いは心を強くしてくれました。何度も打ちのめされましたが、その度に強くなれました。この時の経験は、一生忘れはしないでしょう。
どうして挑み続けられたのか?
そもそも僕は難しいゲームが得意ではありません。なのに何故ダークソウルを諦めずに続けられたのか。
ダークソウルの世界観にハマったから……といえばそれまでですが(笑)
真面目に考えてみると、ゲームとしてそう作られていたからだと思います。
どんなゲームでも負けたり失敗したりすると、もう一度始めるまでの「やる気」みたいな物は減っていき、何分か経つと消えちゃう気がするんです。ダークソウルはそのやる気が消える前に再挑戦させてくれたから、続けられたのではないでしょうか。
死んでもすぐやり直せる……「だから今度は気を付けよう」「今度はあれを試してみよう」と、色々考えていたらまたやる気が出てくるんですよね。
……これが「ダークソウル」のゲームとしての、言わば(続けられた)外的な理由です。
そしてもう一つ。
これは僕自身の内的な話になるのですが、「ダークソウルに人生救われた」と言える理由がここにあります。
人間性を捧げた先にあったもの
「センの古城」という罠だらけのエリアがあるのですが、そこに悪戦苦闘しながら何度も挑んでいた時、妙な懐かしさを感じました。
ダークソウルは初めてプレイするゲームなのでおかしな話です。それでもやはり、この感覚は昔から知っているものでした。
挑んで、罠に引っかかってゲームオーバーになって。また挑んで、次は別の罠に引っかかってゲームオーバーになって……。
これを繰り返している内にようやく思い出しました。
これは子どもの頃やっていたゲームと同じだ。
僕が小さい頃遊んでいたゲームといえば「マリオ」「ドンキーコング」「ロックマン」といったものでした。
どれもキャラクターを動かしステージに挑戦し、罠に掛かったりボスに負けたりしてゲームオーバーになり、敵の配置を覚えて、攻撃のパターンを覚えて、絶対に勝てないと思っていたボスを倒す。その達成感が嬉しかったからゲームを好きになった。
それがいつの間にかおかしくなっていました。子どもの頃からゲームをやっている僕はゲームが得意で、だからゲームの良し悪しというものも分かっていて、僕が面白くないゲームはクソゲーなんだ。いつの間にかそう思う自分がいました。だからゲームを楽しめなくなっていました。
その思い上がったどうしようもないプライドは、ダークソウルで見事にへし折られました。その先に見えたものといえば、子どもの頃のゲームに対する原風景です。
あの頃の僕の方が、純粋に、そして上手にゲームを楽しんでいました。
それに気づいた時、僕はダークソウルというゲームを嫌いになれないと確信しました。
それと同時に絶対にクリアしなければならないとも思いました。これをクリア出来なければ、僕には本当に何も無くなると思ったからです。
ここで諦めたら、子どもの頃のあの楽しささえ否定する気がしたからです。
何度負けても挑み続けられたのは、これが大きな原動力であったのは間違いありません。
ダークソウルを終えて
今更書く事でもありませんが、僕はダークソウルを一応クリアしています。スマートな戦いが出来たわけでも、周回プレイをしたわけでもありませんが、エンディングにはたどり着けました(笑)。
ゲームを嫌いになって、人生からゲームという存在を抹消する。
その計画は失敗し、それどころか今はゲームがもっと好きになっています(笑)。
仕事のストレスで疲弊し、頭も禿げて辛い毎日でした。ですが、ダークソウルをプレイしているあの時間だけは、今でも「楽しい冒険の日々だった」と、胸を張って言えます。
この冒険で得た火種は僕の心の篝火となり、今でも生きていく上で大事なことを教えてくれます。
ダークソウルで得た教訓はまだまだありますが、今回はこれで終わりになります。長々と駄文を読んでいただきありがとうございました!
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