今回は香川県の「ゲーム規制条例」について感じていることを書いていこうと思います!
最近テレビやネットでもよく見かけるこの条例案、このブログのタイトル的にも無視出来ないと思ったので(笑)。
結論から書きますけど、
何とも言えない、です(笑)
「ダークソウルに救われたとか言ってただろ!」とか「大事なことはゲームが教えてくれたんじゃないのか!」「それを規制されても良いのか!」って言われるかもしれません(笑)
いや、心情的にはもちろん反対したいですよ?ただ、ここで一方を「是」とし、もう一方を「非」として語るのは……何にもならない気がするんです。
そもそもどんな条例なの?

ひとまず感情を抑えて、この条例がどんなものなのか知りましょう。
- 「(コンピュータゲームに対して)18歳未満の使用時間の上限は、平日60分、休日は90分」
- 「スマートフォン等の使用時間帯は、中学生以下は午後9時まで、高校生は午後10時まで」
- ただし、努力義務はあるが罰則規定などは無い。
以上の様な内容で四月までの施行を目指している……と、僕が調べたらこんな感じでした。
いやキツい!(笑)そして努力義務はあるが、罰則規定は無いって……。だったら各家庭でそれぞれやれば良いのでは?とも思ってしまいます。
これだけ見たらこの条例に否定的になるのも分かります。
どうしてこんな条例が生まれたの?
こんなの、昔から家庭で言われてきた事ではないですか。どうして今更香川県はこんな条例を考えだしたのか。
これは中学生以下のお子さんを持つ保護者の方々の悩みに関係あるみたいなんですね。
「ゲームのやりすぎ」
「ずっとYouTube視てる」
……これでも弱いですよね。最近の子は外でも遊びにくくなっていますし、YouTubeはテレビよりも面白いし。僕が子どもの頃でもこんな感じでしたよ?
ただ、最近だと「ゲーム障害」も関係あるらしいんです。ゲーム障害について僕は詳しくないのですけど、例えば6時間以上プレイし続けて、「腰痛や頭痛等、体に異常が出ても止めない」「学業や仕事に影響が出てもゲームを続けた」(香川県や未成年の話ではなく、全国的な範囲での話です)……と。
え、怖い。フツーにヤバいですよね?(笑)
僕は独身ですし、子どももいませんけど、もしいたとして、何時間もゲームでテレビやPC、スマホの前にかじりついてこちらの言葉には曖昧な返事しかしてくれないのだとしたら……。
心配するでしょうし、ゲームから離したくなる気持ちも理解できます。
ただ、このゲーム障害から立ち直らせるのは物凄く難しいみたいです。条例でいくら規制しても、根本的な解決になるのか疑問です。
※あと、以前Twitterで見かけたのですけど「ゲームを嫌いになる方法」なるものが呟かれていました。詳しく確認はしてなかったのですが(怖かったので)、「ノルマを設ける」「報告書を作らせる」といったものでした。これだけはね……してほしくないです。いくらゲームを止めさせたいからといって。
本当にゲームに依存しているのか?
なんか……当たり前のように「ゲーム依存」という言葉が使われていますけど、本当にゲームに依存しているのでしょうか?

僕はゲームは好きですけど、何時間も続けてやっていられないです。年齢のせいもあるだろうし、ゲーム出来る時間自体が確保できないというのもあります。でも、子どもの頃でさえ三時間くらいが限界でしたね。
「ゲームを途中で止める」っていうのは個人的には重要なもので、なかなかクリア出来ないゲームも時間を置いたらすんなりクリア出来たりしますし、ゲームをしていない時間が言わば「空腹状態」みたいになってゲームするのがもっと楽しくなるんですよ(笑)。
ゲームを止められないっていうのは、まだゲームと上手く向き合えていない状態だと思うんです。
簡単に言ったら、ゲームで遊んでいるんじゃなくてゲームに遊ばれているんですよね。
自分っていうものがそこに無いのでは?と考えています。
例えばクリエーターと呼ばれる人はそれこそ何時間も何日間も作品を完成させるのに没頭したりするじゃないですか(想像ですけど)?これは依存じゃないですよね。言い表しづらいですけど、「自分との戦い」?僕はそういう風に思っています。
職人さんとかって、一人で作業している場面を思い浮かべませんか?黙々と、ただ一人で、何が正しくて何が間違っているのかも、その人にしか分からないような世界。
でもゲーム依存は違う。
これも僕の勝手な妄想ですが、ゲーム依存している人のイメージって「黙々と」「淡々と」プレイしていないんですよ。一人でなく、相手がいるから。
これ、本当に難しいんですけど、オンラインに繋がってたくさんの人とプレイ出来るのって、ゲームの進化だし素晴らしい事だと考えています。
でも、だからこそ競争するんですよ。自慢したいんですよ。その欲望に依存するんですよ。
書くの、怖いですよ?(笑)誤解されても仕方ないですし。でも、依存する原因を突き詰めたらここに辿り着いちゃうんです。ソロプレイオンリー(一人プレイ専用)ならここまで依存できないと思うんです。
そしてスマホですよね。これだってそうです。
スマホゲーをやった事ない人に簡単に説明すると
- 基本的に無料
- 課金するとある程度有利になる
- ガチャと呼ばれるシステム(無料でもガチャ出来るけど、リアルなお金をつぎ込めばその分ガチャ出来ます。強いキャラクターや武器はここで入手します)
- 定期的に行われるイベント(周回と呼ばれる程、同じ作業の繰り返しで素材をたくさん集めてそれでアイテムと交換する)
と、こんな感じです。たくさんの種類がありますが、ほぼこれに当てはまります。
基本的に無料というのが罪深いと感じます。だって、誰もが上記の様な競争に巻き込まれるし、ガチャで強い、カッコいい、かわいいキャラクターを入手したいという欲望を抱きますもの。
悪いとは言わないですよ?「これはゲームだ」と理解していれば依存もしませんし、楽しめる範囲で楽しめますから。
それが出来ない人が、ゲーム依存やゲーム障害と呼ばれる症状に陥ってしまっているのではないでしょうか。
長くなりましたが、要約すると、ゲームに依存しているのではなく、ゲームの向こう側の誰か、もしくは自分自身の承認欲求に、依存する原因があるんじゃないかなって思うのです。
ゲームと勉強の違い
前の項目にクリエーターの話を書きましたけど、これと同じで勉強も依存とみなされないですよね?
おかしいですよね。ゲームは何時間もやってたら「止めなさい!」と言われるのに、勉強は何時間何日間やってても「頑張ってるね」とか言われる……そんなイメージ。
僕は勉強もゲームも一緒だと考えています。
理由は簡単で、「アウトプットしているか、していないか」だけの違いです。
勉強は「テスト」や「受験」みたいな、定期的に、強制的にアウトプットする場が設けられているじゃないですか。だから「無駄じゃない」って認識になるんですよ。ゲームはそれが無い。
この認識を覆すのはなかなか難しいとは思います。でも、これを変えていければゲーム自体への偏見のようなものも無くなり、依存する原因がゲーム以外に何かあるんじゃないか、って考えてくれる人が増える気がするんです。
だんだんと、その辺りも変わってきてますよね。「eスポーツ」なんて昔は考えられませんでしたよ。これなら分かりやすいアウトプットでしょうし、別に小さな事でも良いわけですよ。ゲームの感想言ったりとか、美麗なイラストを自分でも描きたくて絵を描き始めたりとか。何でも良いからゲームで得たものを外に出す。この文章だってアウトプットですよ。
ゲーム=勉強

例えばゲームをしていて「石ころ」ってアイテムを手に入れるとしますよね。この石ころってアイテムは、売っても「1ゴールド」とかなんですよ。
でも、とある町の道具屋にだけは「10ゴールド」で売れると知った時、何か感じ取れません?ちなみに「薬草」は全ての道具屋で8ゴールドで買えるとしたら……。何か色々広がりませんか?
これなんですよ!この「気付き」の様な何かを与えてくれるのがゲームなんですよ!(笑)。そして、これをアウトプットしている人が凄いんですよ。勉強出来る人より凄いかもしれません。
浜辺で綺麗な石を拾う。これをメルカリで千円くらいで売ってみる。実際にそれが売れる。凄くないですか?勉強だけだとこれはなかなか気付けないです。だって勉強には教科書・参考書・教師っていう道標がありますから。そしてテストや受験というゴールさえ用意されています。
それが悪いとは言いません。誰にも彼にも「ゲームやろ!」とか言えませんし(笑)。ただ、やっぱり柔軟性は無くなるとは思います。マニュアル人間になるための教育にも思えますし。
教育も変わろうとしているとは思うんですよ。「マインクラフト」(色んな物を自分で作ったり出来るゲームで、テトリスの売り上げを超えたと言われています)を授業に導入する話とか聞いた事ありませんか?
子どもの頃「いただきストリート」というゲームで遊んだことがあります。ゲーム内容の説明は省きますが、このゲームで僕は株という物を知りました。サラリーという言葉を知りました。貰ったサラリーを全て株に変えて、それ以上の株価になるようプレイしてました(笑)。
中学生の頃、クラス一番の不良が地理の授業中、ほとんどの都道府県の位置と名前を答えていました。僕には答えられなかった問題です。その不良は「桃鉄で全部出てきた!」って言ってました。※桃鉄とは「桃太郎電鉄」というゲームの愛称です。
ゲームも勉強もその違いに差なんてありません。そこで得たものをどうやって自分の知識や力に変えていくか。それが出来なければどちらも無駄に終わるとさえ思います。
なので、僕みたいなゲームが好きな人は、ゲームの規制等に反発するのではなく、自分自身の経験から学んだ知識、ゲームとの付き合い方……そういったものを発信していくことが、より良い方向に行くのではないかなぁと漠然と思います(笑)。今はそれが簡単に出来る時代なわけですし。
結局、答えは出せません(笑)。それぞれの立場・環境、色々あるはずですから。
思っていた以上に長くなってしまいましたが、この辺りで終わりにしますね。ここまで読んでくれてありがとうございました!
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